京都守護職「松平容保」 新選組は京都の治安維持の為に結成された浪士隊だったんですが、その彼らの後ろ盾となっていた会津藩主で、 荒くれ者の壬生狼・新選組のいわば飼い主みたいな御方です(笑) 病弱だったそうなので色々と苦労も多かったのでは…(^_^;) しかし勉強になるな〜このギャラリー(爆) |
またまた容保の登場ですよ。まったく…(笑) 新選組イラストを期待して見ちゃった方、すみません(笑) どうにもこうにも、描いた本人が容保にかなり愛情注いでまして…。 今後もまた登場するかもしれませんねぇ。この分だと。 しかも、今回のイラストは「白虎隊」のビデオを一時停止しながらスケッチしたそうですよ。 …病んでます(爆) と言いつつ、この容保は何か愛らしく見えてしまう私。 ちなみに右側にちらっと見えてるのは馬のたてがみ。 馬上の容保という事で☆ |
(左) 白虎隊隊士「飯沼 貞吉」 (右) 白虎隊隊士「篠田儀三郎」 これも新撰組というわけではなく、会津に傾倒している人にとっては欠かせない白虎隊(笑) ただ、新選組と全くの無関係というわけでもないんです。 彼らは新選組と同じく、会津藩主松平容保公のおかかえ。 容保公が編成した4つの隊の内、16・17歳の少年で編成された隊が「白虎隊」 【他に朱雀(18〜35歳)・青龍(36〜49歳)・玄武(50〜60歳)等が有】 出陣の際、食料調達の為隊を離れた隊長とはぐれ、戻らない隊長の代わりにリーダーとなったのが篠田儀三郎。 しかし、飯盛山から城下が燃える火を見た彼らは城が燃えていると勘違い。 城が落ちたならば自刃すべきと全員の意見が一致。 白虎隊士20名が飯盛山にて自刃するという壮絶な最後を迎えます。 この時、奇跡的に蘇生した飯沼貞吉が白虎隊の悲劇を後世に伝える事になります。 彼ら少年達にとって憧れの存在だったのが、血の臭いをまとい、颯爽と戦地に赴く新選組だったと伝えられています。 …って何を真剣に語ってんだか。もはやイラストコメントの域を超えている…。 |